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My Bodyguard

 

1980年代のアメリカの青春映画だ。

それも、高校生男子の友情をテーマにした心温まるお話。

wowowでは埋もれた秀作と紹介していた。

 

ネットも携帯もない時代だが、

いじめや人間関係の争いはその昔からある。

 

そんな中、毅然と飄々と毎日をすり抜ける主人公の姿はとても頼もしい。

彼が友達に選ぶ面々の個性が際立って彩り楽しい。育った環境も趣味嗜好も違うが、

どこか暖かい思いで繋がっている。いい仲間。

 

高校生男子が大切にするもの少し分かったような気がする。

 

また、主人公のおばあちゃんが出てくるのだが、

アメリカ人らしいハッピーであればいいを実践するような老婦人。

毎日バーで男性を口説く、ギャンブルをする。トラブルメーカーとして登場する。

でも、なぜかチャーミングで若い子たちとの会話もウィットに富み粋でおしゃれ、

そして張り詰めた空気をふと緩める何かを残していく。憧れてしまう。

 

高校生よりも老婦人に肩入れをしている自分がいることに気づく。

そうゆう歳だということだろうなぁ。

 

 

 

 

この世界の片隅に

 

とても素敵な映画だった。

 

題名通りこの世界のどこかで繰り広げられてきたであろう日常を

とても丁寧に描いてた。

その時間はゆっくり流れていた。

 

戦いは悲惨である。人はすぐ横で死ぬ。街は焼け落ちていく。

しかし、その環境でも丁寧に毎日を過ごす一家。

空襲が続いても朝になれば仕事に出かけるし、朝昼晩とどうにか工面して

ご飯を作って食卓を囲む。そうやって毎日が続いていくのだ。

 

主人公のすずさん。どこにでもいそうな普通の女の子である。

そんなすず役ののんさんの声はこの映画のためにあったかのよう。

のんさんの素直さがすずさんの一生懸命な生き様そのものに写される。

 

決して悲しいだけの映画ではない。

ユーモアが溢れてる。みんなが暖かい気持ちを持ち続けていてくれる。

ファンタジーが隠されているし、希望もある。

 

年の瀬に思いが溢れ出てしまう素晴らしい作品に出会えた。

 

 

 

 

アシュタンガヨガをする意味

 

アシュタンガヨガは決まった一連の動きを毎日練習するのが基本である。

 

私は休むことも必要と信じているので、週に2回出来ればいいと思っている。

それを6年ぐらい続けている。

 

先日、腸が腫れてお粥を食べ続けること2日、その後徐々に食事を元に戻していった。

お粥は2時間おきに食べないとお腹がすくし、飽きてきて最後の方はとてもきつかった。

 

胃が荒れ、腸が腫れ、私の消化器系はズタズタだった。

不規則な時間に忙しく咀嚼もせずお酒で流し込むという食事をしていた。

空きすぎたお腹を満たすだけ、食べることを全く軽視していた。

 

猛省し、自分に優しくする食べ方をしている。

 

アシュタンガヨガをして、変化をすぐに感じた。

1週間ぶりのヨガはすこぶる体が動いた。

物理的に体重が減っていたのかもしれないが、体が軽い。

 

力が出るし、消耗しない。しなやかで強い体だ。

 

ヨガの終わりは、体と心を疲労感と脱力感で穏やかにしてくれる。

 

 

 

 

 

胃腸

 

実父が「俺に似てお前も胃腸が弱いな」と呟いていたことがあった。

自分もいつからか胃腸が弱いと思っていた。

 

しかし、ここ数年はずっと調子が悪く胃検診は慢性胃炎が続いていたし、

腸はガスが溜まって苦しむことが一年に何回かあった。

 

数日前、腹痛でCTを撮った。

自分では盲腸だと思って訪ねたが、腸全体が腫れているとの診断だった。

 

徐々に自分の体の状態に合点がいった。

 

酷いと絶食、点滴だけで数日入院という始末になるそうなので、

基本内臓には何も入れないのがいいらしい。

お粥からの再スタートだ。焦らずゆっくり一歩一歩。

 

 

 

 

 

 

 

映画「智の青春」を観た。

至近距離30センチぐらいかであろうか、

頭脳を以って相手を制する対局は、命をも削り勝ちたいと思う戦いなのだ。

 

将棋の世界で勝つことに短い一生を捧げた人物がいた。

ほんとうに若くしてこの世を去り私も悔しいが、彼には将棋があった。

だから素晴らしい一生だったのかもしれない。

 

ガンが見つかり余命を宣告され、体調がすぐれない中彼が向かい合った

対局5戦は伝説の打ち手だったらいしい。

 私はそれを聞いて救われた。

 

松山ケンイチの好演に泣けたな。

 

 

話題の映画

 

日本中で話題のアニメ映画を見たのだが、心は踊らなかった。

期待値が高すぎたのだろうか?

普段からアニメに馴染んでないからだろうか?

若くないからだろうか?

 

逆にあの映画の何が心の琴線に触れているのだろう?と問いたいが、

私には私の心を揺さぶる作品があるのでいいとしよう。

 

最近見たマリインスキーバレエ団の「ロミオとジュリエット」、映画の「ビリギャル」はとても感動した。

前者はどこまでも美しく、後者はどこまでも優しく暖かく楽しかった。

 

NY

 

食卓の私の定位置から丁度よく眺められるところに、白い額がある。

その中には、写真が何枚かはめ込まれている。

アメリカ在住中に撮られた各地の写真だ。

 

今までニューヨークには3度だと思うが、訪れた。

その地に再び行きたいと強く思うようになった。

 

一流のミュージカルがその地で見たい。バレーも。絵画も。

昼のセントラルパークもマンハッタンの夜景も。

 

そうか、訪れたのはすべてアメリカ同時多発テロ以前の話だ。

25年ぐらい前に一人で行ったニューヨークは、とても汚く恐ろしい街の印象だった。

その後、美しく変わり、テロ後の今はどうなったのだろう。

 

目を閉じては想像してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リオ閉会式

 

今回のリオはテレビ観戦、それもライブで競技を見捲ることが出来た。

休職中で時間があったので。

 

競技での日本人の活躍に興奮し過ぎて、オリンピックロスになりかけていたところ、

閉会式の日本のプレゼンを録画(式典はどうでもいいと思っていた)で見た。

 

そもそもflag handoverの役目だと思っていたので、プレゼンテーションは全く予想、期待していなかった。

だからその素晴らしさに、ただただ驚くばかりであった。とにかくcool。

安倍首相のこわばった顔を除けば100点満点。

 

今を生きる我々の、東京の最前線をいろんな形で紹介していた。

 

国家斉唱は本来の重厚、静粛という感より賛美歌のような清らかな神聖さを

美しいコーラスが響き渡らせていた。

その後に次々流れる音楽は日本のミュージシャンによる

ジャズ、テクノ、ポップなどのいいとこ取りのようなBGM。

 

日本アニメ、ゲームは全世界のヒーロであり。近未来的ストーリーを作り出す。

 

ダンサーには青森大学男子新体操部員がコラボし舞う。

新体操の世界に男性が挑戦している姿は日本の象徴であってほしい。一歩先行く日本だ。

 

彼らのダンスは社交やジャズやモダンではなく、アクロバティックなタンブリングが入り、日本人の体型が最も美しく見えるような動き、一流のダンスであった。

お辞儀や応援団の動きも洗練されていた。

 

衣装は日本色お決まりの白と赤だけでなく、グレーを入れ込んでヨーロッパ的な色彩センスがとてもモダンだったし。着物を意識し過ぎずモード系に仕上がっていた。もちろんシャープな黒髪。

 

舞台演出の映像技術は世界的にトップクラスなんだろうし、その精密正確さは日本が一番であることには間違いないだろう。

 

真似ということが一切感じられない独自性という観点からもピカイチであったと思う。

心底に残されたことば

 

悲しいことに学生時代に恩師と呼べる人がいないのだが、いくつか導いてくれたことばはある。

 

短大時代の心理学の講義で「清さの一回性」という定説を教示してくれた教授の話は

今でも覚えていて、悲しいが支持していた。いつかこの日本も変わることを信じて。

あの気取らない先生は今や名誉教授になっていた。

 

アメリカで強烈に影響を受けた英語講師に出会った。

60歳位の白人女性だが、彼女は口を開けば"Don't look up the dictionary.  Use you brain."と言っていた。

英語が好きで好きで勉強してきた私の辞書はボロボロだったが、目が覚めた。

彼女には生き方まで教わったような気がする。

 

社会人になりたての頃、上司に言われたことばで忘れられないのが「結婚したら私の人生を返してなんていう人にはならないように」というものだ。う〜〜ん、悩ましい。

 

更年期障害だと思うが、40代後半に心身が喪失した。

その時に受けたコーチングの講師には助けられた。

彼女から紡ぎ出されることばの力にどれだけ励まされたか。

 

 

肩が凝るのは

 

数年前に義理の母が亡くなり、葬式の出棺の直後に

義理の妹の友達と思われる女性が駆け寄って突然言った。

「帰っちゃうんですか?」と切羽詰まった感じで訴えて来た。

 

今でも我々は実家とは他県に住んでいる。

 

今でも思い出すと、とても嫌な気持ちになる。

知らない人、話したことも会ったこともない他人が突然私の目の前に現れて、

私だけに言い放つ。

 

お互いに面識のない間柄なのに「養子に入ってもらえばいいのよ」とか目上の者が

下の者に助言したりして。

 

反対に、「外のひとには分からない」と言われたこともある。

 

そうゆう雰囲気、そうゆう悪い言葉で言えば村社会が嫌い。

 

今でも思い出す子供のころの光景がある。

母の故郷が静岡で新茶の時期になるとお茶の葉が送られてきていた。

ある時、親戚の叔母さんがやって来て我が家の台所で茶筒からお茶をすくって持って

帰って行った。母から許可をもらっているとはいえ、とても不快だった。

 

人との距離感に激しく過剰反応しているだけだろうか?