福島原発

 

先週金曜日の「朝まで生テレビ」の議題は原発であったが、

著名人の議論を聞けば聞くほど、311の廃炉処理や

今ある原発の安全対策に対し悲観的な気持ちになった。

 

いつのまにか原発推進派が牛耳っていく中枢。

日本にもあるべき危機管理を統括する組織があれから6年も経つのに未だにない。

だからか避難計画は自治体まかせだそう。

伊方原発では住民が原発に向かって避難をするしかないという頭悪さ加減。

 

311以前、ドライブ中に福島原発に舞い込んだことがあった。

田舎の山里に突然皇居でも現れたかと思われるほど、完璧に整備された丘の公園があった。

駐車場はゴミひとつ落ちていない、植え込みはさっきカットを終えたかのように揃っている。

 

ツツジだったか両脇に植えられた小道を頂上まで上がると、海と原発が見えた。

その開けた自然には感動したが、原発に関してはなんとも心が感じなかった。

 

ただ思ったのは原発事業は儲かっているんだなということ。

 

 

 

 

悲しい顔

 

これは忘れないうちに書いておかなくちゃと思った出来事である。

 

先日、教え子から「なんで悲しそうな顔してるん?」って聞かれ、

子供の率直な発言にハッとさせられた。

そうなんだ私は悲しそうな顔をしてたんだ。

 

夫からは困るとすぐに眉間にシワが寄ると言われている。

実際、私の眉間のシワは顔の中で一番深く刻まれている。

 

生きていくのに肩に力が入り過ぎ。

もっとリラックスリラックス。

 

Take it easy!

 

 

La La Land

 

ハリウッドのお膝元ロサンゼルスが舞台のミュージカル。

ショービジネスで成功を夢見る若者ふたりのラブロマンス。

 

とても軽やかにシンプルに、でも少し観る者を錯覚させながら

夢見ごごちな気分になっていった。

 

とても爽やかな映画だった。

ちょっと切なく、でも勇気や希望そして笑顔をくれる後味だった。

 

 

田舎に暮らすこと

 

逃げ場のない社会。

選択肢のない世界。

刑務所にいるかのような錯覚を覚えるほどの閉ざされた精神状態だった。

 

辛い気持ちを癒すために、華やかな美しい最先端の場が必要だった。

公私の区別がないということは、休まる時がなかった。

 

私には無理。

 

 

 

欧米との違い

 

昨日見たデンマーク映画の中で、不良学生が更生したのを表現するのに

シェークスピアマクベスをクラスのみんなの前で朗読したという場面があった。

 

日本だったら、偏差値40の子が70以上の学校に合格というような

設定になるんだろうなと思ったら悲しくなった。

 

知性や教養とは?

 

 

 

 

沈黙

 

遠藤周作の小説を巨匠スコセッシが映画化。

17世紀にキリスト教が禁ぜられていた時代のキリシタンへの弾圧の話である。

 

映像はとても悲しく美しかった。

アメリカ人が作る日本だが、とても洗練されていて違和感は感じられなかった。

 

それにしてもここまで残酷になっていた我々の祖先の心が計り知れなかった。

我々が花を摘むように、人が簡単に殺されていく。

未発達であったイコール野蛮という公式で片付けていいのだろうか?

 

発展し成熟した時代と思いたい今に、先人の負の遺産を深く考えてみる。

そして、神はこの不条理な状況に沈黙を続けたことも。

 

 

仕事

 

就活の面接にまた行く。

去年の夏頃から就活を断続的にしているが、何度も落とされている。

落ちるのには慣れているが、やはりしばし落ち込む。

 

引っ越してはこの繰り返しで、投げやりにもなりたくなる。

身の上を誰かのせいにしたくなる。

人を妬ましく、自分を惨めに思いたくもなる。

 

まぁ、自分には合っていなかったと、

受かっていたとしてもその先の行く末は神のみぞ知るだし、

などと思ってもみる。

 

理想

 

叶えられないのが暗黙の了解でも理想は理想、いつまでも掲げて欲しかった。

アメリカという国には。

私の憧れているアメリカはいつも自由や多様性を理念として掲げていた。

 

とても悲しい。

 

アメリカという国がどこに向かうのか?

とても心配だ。

 

 

 

 

永い言い訳

 

自己愛しか持てない小説家が、子供と関わることにより

愛を手繰り寄せ、愛と無様に格闘していくというような話。

 

私は小説家よりも、登場する6年生の男の子にとても興味を持った。

母が死んで父を拠り所とするはずが、学の無い父に反発する。

「おとうさんが死ねばよかったのに」とまで言わせてしまった。

 

今、猛勉強をし中学受験を目標としていることに、父は関心がなかった。

学問に関心がなかったように私には映った。

男の子には学問と自分が重なりあっている今の姿を、父が敬遠しているのが許せなかったようだ。

 

そんな状況に小説家が現れた。

男の子はこの情けない小説家の何に惹かれたのだろうか?

この男は大学出であったが、タレント小説家という設定だったと思う。

 

もしや、小説家の方が男の子の心情がわかり、心を寄せていたのが通じたのかもしれない。

大人の階段を一段づつ歩む男の子が小説家を成長させていった。

 

私はそのふたりの不思議な関係性に希望を見つけ、癒されていた。

 

 

 

ホームパイ

 

不二家ホームパイ

それは、今でもビビッドに思い出される光景の主役にいる。

 

幼稚園のお友達のお家に遊びに行った。

友達と言っても、母同士が仲が良く、近所にその幼稚園に通うのはその子だけだった。

 

お家に上がったのは、先にも後にもそれ一回の記憶しかない。

お屋敷だ。子供心にこの子とは育つ環境が違うなと思っていた。

でも、なんだかこのお家暗いなとも思ってた。

 

お友達のお母さんが出してくれたオヤツが、不二家ホームパイだった。

私はこれに衝撃を覚えた。こんな美味しい、おしゃれな食べ物があるなんて。

また、ホームパイに海外を夢見た。初めて感じた外国の味だったかもしれない。

 

その頃は不二家の店舗に行かなければホームパイは買えなかった。

2枚のパイが丁寧にシャカシャカと音がするセロファン

キャンディー包みでひねりくるまれていて、とても高級に感じていた。

 

母がバターが嫌いだったので、バターの味をこのホームパイで覚えたのかもしれない。

私のパイ好きはここから始まったのかもしれない。

 

今でも思い出せる。あのときの出会いを。

今でも大好きだ、不二家ホームパイ

でも、ディスカウントストアーで叩き売られ、薄くなったパイを見るとちょっと悲しい。