3.11

あれから5年。

知人の回顧記を読んで自分も書いておいた方がいいと思い立った。

 

あの頃、職場でパソコンのトラブルを抱えており休日に出勤をする羽目になっていた。

その代休としてあの11日(金)は自宅にいた。偶然にもだ。

 

午前中に新しい大画面TVが届き、それを壁に立てかけて置いたことはよく覚えている。

 

そして、午後2時ごろ自転車で近くのスーパーに買い物に出かけた。いつもなら1階だけで済ますのに、その時は2階の「しまむら」を物色していた。ストッキングだったろうかレジを済ませ、帰ろうとした瞬間に揺れを感じた、と同時に走り出していた。その揺れは、昔遊園地にカーペットが横滑りするような乗り物があったが、まさに床が前後ろに思いっきり引っ張られているような感覚だった。

 

階段を降りようとしたところで立っていられなくなった。その頃には上からパネルのような物が落ちてくる、時おりバーンと。食品棚がガジャンガシャン揺れる音や一斉にキャーという叫び声も覚えている。

 

しばらくして階段を降りれると判断し、また駆け出すが途中で揺れがまた酷くなり

今度は1階のキャッシュディスペンサーの横で30代ぐらいのお兄さんと身を屈めた。

前には若い女性がベンチのそばに身を屈めているが上から物が落ちてきて危ない。お兄さんはベンチに潜れと指示をしている。私はこっちへと手招きしてしまった。

 

ここまででどれぐらいの時間が経過していたのだろうか?15分ぐらいだろうか?やっと外へ駆け出た。どうしてだろう、外へ出ることばかり考えていた。

 

とにかく自宅に帰らなくてはと自転車を引いて歩き始めた瞬間に「日本は大丈夫だろうか?沈没するのではないだろうか?」と思った。歩道のマンホールが15センチほど盛り上がっているのが異様だった。街はすでに静けさと不気味さが漂っていた。

 

留守番をしている犬が心配だったが、マンションの近くまでいくとベランダでウロウロしている愛犬を発見した。窓は開けていないはずなのに、揺れで開き犬は怖くてベランダに飛び出したようだ。

 

玄関で部屋の中を覗くと床が物で見えなくなっていた。犬を呼び寄せまた外に出た。なぜだか室内は危ないという思いが強く、とにかく広い広場に待機しようと思っていたようだ。

 

広場までたどり着くと大学生ぐらいの男性が数名たむろっていた。携帯を持ってないことに気づき、犬をその大学生たちにたのんで家に戻った。私が知っている部屋の様子と全く違うので携帯が探せない。焦るがやっと見つけ、避難用バックパックも持って犬のところに戻った。

 

夫から着信があったようだ。しかし、すでに携帯は全く繋がらない。災害時の緊急連絡ダイヤルってどうやってするんだっけ?近くに市民センターがあるのでそこまで言って聞いてみた。女性が緊急時の分厚いマニュアルファイルをひっくり返して見つけてくれたが、これ全く使えない。緊急災害ダイヤルは無意味だった。

 

市民センターには犬連れは入れないだろう。雪が降ってきたので車に避難する。ここでバックパックに入っているラジオをつけてみると仙台市内でも数百人の方が流されていると聞こえて来た。全く現実感がなかった。ただ、近くに広瀬川があるがだいじょうぶだろうかと思った。

 

そうこうする内に、友人家族がなぜかやって来た。一緒に部屋に戻り、夫を待つ。「遅いね」と友人は言うが、大学の学生誘導や点呼などで帰れないんだという確信があった。夫はそれでも自転車通勤なので暗くなる前に帰ってきた。

 

その夜は街に全く明かりがなかったが、駅前のビル1棟だけ灯っていた。その日の買い物で買ったパンを友人の子供にあげたことを覚えているが、何を夕食に食べたか覚えがない。翌朝、友人家族は帰って行った。彼女たちは仙台駅で被災し、1時間ほど歩いて我が家までたどり着いていたのだった。

 

それからの日々は時系列で思い出せないが、毎日買い出しに必死だった。食べるものを確保することばかりを考えていた。ガソリンの争奪戦も醜かった。

 

そして、原発。危ないという実感がないのだが、福岡に逃げることがあるかもと夫から告げられていた。

 

我が家は水道が幸運にも止まらなかった。電気は地震の翌日に。ガスは一ヶ月後。

 

 

お坊さんのパフォーマンス

三十三回忌に際して、お坊さんのお経と法話を拝聴する機会があったが、

私にはどうしても急ぎ足のお経であり、その後の法話も一度聞いたことのある話で

疑問符がつくものであった。

 

僧侶がお年を召してきているせいであろうか?

そもそも仏教の僧侶とはそのような次元の方ではないのであろうか?

 

もやもやとする気持ちを抱え、毎日父があげるお経の方がしっかとしており、

ありがたいと思ってしまう。いけないことなんだろうか?

 

 

キャンプキャンプまたキャンプ

宮崎に来てよかったことがあった。

それは野球の春季キャンプが見放題なこと。一度行って虜になってしまった。

 

なにがそんなに楽しいのだろう?

よく言われるのが選手との距離が近いということ。

突然背後から現れたりするので、びっくりしたこともあったし、

ウチの犬を撫でてくれたりする選手も。

 

また、まさにプロ野球選手の練習が見れることに感動した。

何度も何度も繰り返されるノックを、目にも留まらぬ速さの美しい玉さばきで返す。

その反射は練習の賜物で、美しすぎてメロメロになってしまった。

打撃練習では選手間のフォームの違いを眺めては、芯で捕らえるとはどういうことなのかを考えたりしてみた。

 

ソフトバンクも西武も、育成選手の練習は明るくて、期待を裏切られた。

育成ともなると悲壮感が漂い、しごきにも近い練習をするのかと思ったが、

最も楽しそうな練習をしていたのが育成選手たちだった。

今はそういう時代なんだろう、よかった。

 

投手陣のピッチング練習がまだ見れていない。

ブルペンは狭いので競争率が高いし、時間的にも限られているので

見るには計画的に準備が必要だ。

 

選手にとっては動物園状態なのでやりづらいと思うし、

ファンサービスも要求される。でも、それも含めてプロなんだろう。

我々ファンは彼らの仕事場に踏み込んでいることを忘れずにいなければいけませんね。

帰省

今回が初めて、年末年始に宮崎から東京への帰省。

どのようにして帰ろうか迷ったのだが、犬のことを一番に考え車で帰ることを決めた。

 

宮崎県延岡市を出発、東九州自動車道で北九州から本土へ。

山口、広島、岡山そして神戸、京都を抜けて琵琶湖で一泊。

翌日は戻って京都、名古屋から東名高速に入り、富士山をかすめて東京へ。

 

1日目は休憩含めて10時間、2日目は8時間ぐらい時間を費やした。

 

帰路は中央高速から名古屋、京都、大阪、神戸。

神戸から明石大橋を渡り淡路島、徳島で一泊。

 

翌日はこの旅で初めて、観光に時間を割くことが出来た。

香川観音寺の柳川うどんで「モチプル細麺」(という表現らしい)うどんを賞味し、

愛媛松山で道後温泉に浸かり、松山城見学。城下にある東雲神社で初詣。

 

その後、愛媛八幡浜からフェリーで2時間で大分。

あとは大分臼杵より1時間で延岡。

 

驚くべきことに私は一度もハンドルを握らなかった。

しかし、疲れた。

 

いわゆる第九

いつから日本では年の瀬恒例となったのか、いわゆる「第九」を聞きに行った。

ヨガの師匠が歌うのでお誘いを受けてのクラッシック音楽鑑賞。

 

ベートーベン

「合唱幻想曲ハ短調作品80」

交響曲第9番ニ短調作品125『合唱付き』」

@大分いいちこグランシアタ

 

九州交響楽団

指揮、三ツ橋敬子

ピアノ、片野和紀

嘉目真木子、田原真佐衣(ソプラノ)

波多野睦美メゾソプラノ

児玉和弘、渡辺和弥(テノール

新見準平(バリトン

 

プロのソリストの声の響き方は人間のそれを超越したバイブレーションを感じる。

素晴らしかった。

 

その上で、今回一番感激したのが三ツ橋敬子さんの指揮。

男前といったら大変失礼にあたるのかもしれないが、そのパワーは男性の物である。

美貌からは想像出来ない体の動きを見たような気がする。感動した。

 

以前のインタビューで、女性特有の感情的であることを、指揮をする上では

良しとしないような記述があったが、演奏後の気遣いは女性そのものであった。

 

 

 

映画感想

007 スペクター

 

007シリーズ初鑑賞だったが、「洗練された」その一言に尽きる。

メキシコシティーの死者の祭りで始るが、シックな映像で感動が始まった。

 

すべての景色がとても品がある。

スーツもドレスも車も建築物も浮かずに人物を引き立て、惚れ惚れとしてしまった。

 

ストーリーは過去の作品を見ていないので難解なのだが、

それを上回る他の要素がとても私には魅力的であった。

 

 

 

 

 

喜ばしき現状維持

アシュタンガヨガをしていて最大の悩みは

「いつまで出来るのだろう?」ということ。

 

先日、師匠に雑談としてさらっと言ってみた。

「ヨガを続けることと歳をとることは‥‥」最後は言葉が出てこなかった。

 

私より10才は上であろう師匠は力強く言った「少なくとも現状維持は出来る。」

 

そうだ、現状維持は悪いことではない。

さらに、今はまだ少しでも進歩しているし。

続けることが大事。それだけかもしれない。

映画感想

「WOMAN IN GOLD」

「黄金のアデーレ 名画の帰還」

 

大分県立美術館でグスタフ・クリムトの《ヌーダ・ヴェリタス》真実の裸身を

鑑賞した流れで、この映画を見ることに決めた。

 

主人公マリア役のヘレン・ミレンがとても魅力的な人物像として描かれていた。

毅然として誇り高く、独立した淑女。でもチャーミングで、時にきまぐれだったり、

お茶目だったり。とっても素敵だった。

 

ナチに奪われた名画を奪い返すまでオーストリア政府と戦うという実話。

ユダヤ系アメリカ人の主人公とアメリカ人弁護士の会話がとても小気味良い。

主人公の訛りのある英語が、その歴史を生き生きと浮き上がらせていた。

 

そう実話だけに、とても感慨深く、ナチズムのことも移民ユダヤ人のことも

より身を以て感じることが出来たような気がしている。

読書感想

「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」再生・日本製紙石巻工

 佐々涼子 早川書房

 

3・11東日本大震災のノンフィクション。

日本製紙石巻工場が被災し、紙造りを再開するまでの実話である。

 

私も仙台で被災をしたが、被災者なんて奥がましく言えなくなるほど、

石巻の惨状は想像を絶していたのだろう。

 

石巻ですら被災者間でも大きな格差が生まれていた事や、

マスコミでは、被災しても清く正しい日本人ばかりが美化されたが、

略奪があちこちであったこと、事実かどうか疑うような残酷な話も描かれてあった。

そう、「極限に追い込まれると人間の本性が出る」という登場人物の発言は

程度が違えども、私も経験した嫌な体験だ。

 

今は企業城下町に住んでいるので、雰囲気が伝わってきた出来事は、

日本製紙さんが支援物資を丸抱えしているという噂が立ったという話。

大企業だからいい思いをしているというような、ありえる人間の負の心理。

 

あの揺れを体験し、同じ地で同じ時間をやり過ごした一人として、

最後に言いたいことは。

 

多くの多くの人たちが津波が家を飲み込み、人の命を奪うとは想像していなかった。

いつまでも忘れてはならない。津波の恐ろしさを。

いつまでも語り継がなくてはいけない。津波の無情さを。

 

 

 

めぐり逢い

「この街には美味しいケーキ屋さんもない」とブツブツ。

でも、今日は自分に目一杯優しくしたくてケーキを買った。

 

初めて行ったケーキ屋さんの美しく輝くショーウィンドウに並ぶ西洋菓子と、

若くて感じのいいお嬢さんの気持ちのよい接待で、気持ちが少しホッと明るくなった。

 

彼女は自分で適材適所を知り、ケーキ屋店員としてお金を稼ぐプロであるなんて、

大げさにも思ったりする。

 

「ふむ?これは私の大好きなチョコレートケーキの色と質感。これにしようっと」

 

おやつに食べると、胡桃も入っていて益々「Tops 」のケーキに似ている。

調べてみると、そのお店のパティシエは「Tops 」で長年修行をしていた。

 

これをシンクロニシティと言うのか、引き寄せと言うのか。

今の私には、エネルギーを与えてくれる出来事だった。