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すべてのことに意味があるとは限らない

 

パッションが新しい出会いを運んでくれた。

 

1時間ちょっと高速道路を走り抜け、

他県までアシュタンガヨガの練習に行ってみた。

 

今の状況に満足いかず、だから田舎は選択肢がないから大嫌いと腐っていた。

しょうがないと諦めてしまう気持ちも相まって、

ただただ陰にこもる思考回路にはまり、抜け出せない状態の日もあった。

 

思いはあるのに、一歩が踏み出せない。

 

仕事が長い夏休みに入り、時間に余裕が出来たのが転機となった。

毎日のネット熟考で会ったこともないヨギーニから紹介された道場

トントン拍子で行くことを決心した。

 

ここ数日のスピードはタイミング、縁、直感など私の人生に時として出てくる

ワードでしか説明できない。

 

道場では、初めての場でも淡々と一連の流れを静かにポージングしていく。

師には解剖学的な意見が欲しくて、自分の体の動きが悪い場所(右の股関節)

を切々と訴えてしまったが、ヨガではピンとくる答えは返ってこない。

 

しかし、アシスト、アジャストメントはとても素晴らしい。

久々の感覚。

 

後半でブリッジ、英語ではバックベンド、サンスクリット語では

ウールドヴァ・ダヌラーサナをするのだが、最近は腰を労って飛ばしているが、

師よりチェックが入った。

 

と同時に師の旦那様が階下よりやって来て、

「僕はアシストが一番うまいからさー」と私の背中をひょいと引き上げた。

ドンと下ろして(頭を打った)、すでに疲れきって仰向けにまっすぐ寝ていると

右足を外へ90度近くに曲げて去って行った。

 

注射が上手なお医者さんのような早業の所作だ、

ちょっと乱暴だが、無駄な動きがない。

 

その右足を外へ曲げたのは?

師に訴え続けた右の股関節と絶対関係がある。なんだなんだ。

 

練習後に、師にはバックベンドは胸を開けば(上半身の柔軟性を養えば

ということになる)、一切腰は使わないということを旦那様のアシストで

体感したことを告げが、彼はカイロの専門家でヨガに移行したことが分かった。

 

整体やカイロはどうも信頼おけないのだが。

 

帰り際、旦那様に聞くチャンスがあった。「あの時なんで右足を曲げたのか?」

すると「どんな感じがした」と逆質問され、「無意識でした」と答えると、

「すべてのことに意味があるとは限らないからさー」という軽い返事。

 

絶対、何かを矯正したんだとずっと思って帰路に着いたが、

今思うのは痛みのチェックだったんじゃないかと。

 

「すべてのことに意味があるとは限らないからさー」という言葉を

どう捉えていいのやら。

 

偶然と謎、とても不思議な1日だった。