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NY

 

食卓の私の定位置から丁度よく眺められるところに、白い額がある。

その中には、写真が何枚かはめ込まれている。

アメリカ在住中に撮られた各地の写真だ。

 

今までニューヨークには3度だと思うが、訪れた。

その地に再び行きたいと強く思うようになった。

 

一流のミュージカルがその地で見たい。バレーも。絵画も。

昼のセントラルパークもマンハッタンの夜景も。

 

そうか、訪れたのはすべてアメリカ同時多発テロ以前の話だ。

25年ぐらい前に一人で行ったニューヨークは、とても汚く恐ろしい街の印象だった。

その後、美しく変わり、テロ後の今はどうなったのだろう。

 

目を閉じては想像してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リオ閉会式

 

今回のリオはテレビ観戦、それもライブで競技を見捲ることが出来た。

休職中で時間があったので。

 

競技での日本人の活躍に興奮し過ぎて、オリンピックロスになりかけていたところ、

閉会式の日本のプレゼンを録画(式典はどうでもいいと思っていた)で見た。

 

そもそもflag handoverの役目だと思っていたので、プレゼンテーションは全く予想、期待していなかった。

だからその素晴らしさに、ただただ驚くばかりであった。とにかくcool。

安倍首相のこわばった顔を除けば100点満点。

 

今を生きる我々の、東京の最前線をいろんな形で紹介していた。

 

国家斉唱は本来の重厚、静粛という感より賛美歌のような清らかな神聖さを

美しいコーラスが響き渡らせていた。

その後に次々流れる音楽は日本のミュージシャンによる

ジャズ、テクノ、ポップなどのいいとこ取りのようなBGM。

 

日本アニメ、ゲームは全世界のヒーロであり。近未来的ストーリーを作り出す。

 

ダンサーには青森大学男子新体操部員がコラボし舞う。

新体操の世界に男性が挑戦している姿は日本の象徴であってほしい。一歩先行く日本だ。

 

彼らのダンスは社交やジャズやモダンではなく、アクロバティックなタンブリングが入り、日本人の体型が最も美しく見えるような動き、一流のダンスであった。

お辞儀や応援団の動きも洗練されていた。

 

衣装は日本色お決まりの白と赤だけでなく、グレーを入れ込んでヨーロッパ的な色彩センスがとてもモダンだったし。着物を意識し過ぎずモード系に仕上がっていた。もちろんシャープな黒髪。

 

舞台演出の映像技術は世界的にトップクラスなんだろうし、その精密正確さは日本が一番であることには間違いないだろう。

 

真似ということが一切感じられない独自性という観点からもピカイチであったと思う。

心底に残されたことば

 

悲しいことに学生時代に恩師と呼べる人がいないのだが、いくつか導いてくれたことばはある。

 

短大時代の心理学の講義で「清さの一回性」という定説を教示してくれた教授の話は

今でも覚えていて、悲しいが支持していた。いつかこの日本も変わることを信じて。

あの気取らない先生は今や名誉教授になっていた。

 

アメリカで強烈に影響を受けた英語講師に出会った。

60歳位の白人女性だが、彼女は口を開けば"Don't look up the dictionary.  Use you brain."と言っていた。

英語が好きで好きで勉強してきた私の辞書はボロボロだったが、目が覚めた。

彼女には生き方まで教わったような気がする。

 

社会人になりたての頃、上司に言われたことばで忘れられないのが「結婚したら私の人生を返してなんていう人にはならないように」というものだ。う〜〜ん、悩ましい。

 

更年期障害だと思うが、40代後半に心身が喪失した。

その時に受けたコーチングの講師には助けられた。

彼女から紡ぎ出されることばの力にどれだけ励まされたか。

 

 

肩が凝るのは

 

数年前に義理の母が亡くなり、葬式の出棺の直後に

義理の妹の友達と思われる女性が駆け寄って突然言った。

「帰っちゃうんですか?」と切羽詰まった感じで訴えて来た。

 

今でも我々は実家とは他県に住んでいる。

 

今でも思い出すと、とても嫌な気持ちになる。

知らない人、話したことも会ったこともない他人が突然私の目の前に現れて、

私だけに言い放つ。

 

お互いに面識のない間柄なのに「養子に入ってもらえばいいのよ」とか目上の者が

下の者に助言したりして。

 

反対に、「外のひとには分からない」と言われたこともある。

 

そうゆう雰囲気、そうゆう悪い言葉で言えば村社会が嫌い。

 

今でも思い出す子供のころの光景がある。

母の故郷が静岡で新茶の時期になるとお茶の葉が送られてきていた。

ある時、親戚の叔母さんがやって来て我が家の台所で茶筒からお茶をすくって持って

帰って行った。母から許可をもらっているとはいえ、とても不快だった。

 

人との距離感に激しく過剰反応しているだけだろうか?

 

 

 

 

 

 

面接

 

今のことろ2回の面接を受けた。

 

一度目の職場は、とても不快だった。

おおげさかもしれないが、入室しても全員が書類を見ていて頭を上げないような状況。

聞かれる質問で、何度も強調されていたような気持ちになったことがあった。

嫌味に取れば、「どうパワハラに耐えて行きますか?」みたいな話。

「きつい人はだいじょうぶですか?」

「今までの経験で威圧的な人にはどう対応してきましたか?具体的に教えて下さい」

「どうやってストレス解消してますか?」

 

あまりにもそんな話ばかりですので、私から「何か人間関係で問題があったのでしょうか?」

と素直に聞いてしまった。正直に答えるはずはないのにね。

こんな悪い印象の職場プラス労働条件にも不安を抱いていたので、

この面接後に辞退した。

 

二度目はとても理路整然とした面接だったと思う。

しかし、落ちた。

 

なんで落ちたかを内省しているうちに、やりたいことではなかったのかも?と

思うようになった。やりたいことがあぶり出されてくる。

 

 

 

 

 

膝痛

 

何日、何キロ走ったのだろう?膝が痛い。

歩いても違和感があり、走るのはもう限界と体が言っている。

休むのが一番と体と心が一致した。

 

たぶん下り坂で痛めたのだろうと推測出来る。

悲しいかな、以前はこんな柔な体ではなかったのに。歳には勝てない。

とにかく今は休もう。

 

でも、ヨガをしても膝は痛まない。

面白いもので、走る歩くとは膝の使いかたが全く違うのだ。

ヨガは出来るので、出来ることをしよう。

そして走れるまで待とう。

  

ちょっとショックだけど、走れるようになった時はきっと何かが待っている。

 

 

 

走る

 

30歳のころ独りになって、力強く生きようと走っていた。

息が上がったときは負けるもんかと自分を鼓舞していた。

暖かい灯がともる邸宅を横目に走れば、もう一度いつか家庭を持つという信念があった。

 

40を過ぎたことからなんとなく不調が波のように訪れ、

40代後半のある時期は心が病み、体も続いて萎えてしまった。

環境が変わり新しいことに順応できずに苦しんだ昨年。

辛い時期が続いていたな。

 

そして、50を過ぎてまた体が走りを欲しがっているよう。自信もついたんだろう。

もちろん走ってみれば、体が思うように動かない。

上り坂は歩いた方が早いし、足の負担も少なく体によいとおもうほど。

 

ただ、続けることのみ。

 

 

 

 

 

steve cohen

 

南アフリカで生まれた白人、ユダヤ、ゲイとメジャーから振り落とされていく中、

独自の自己表現として羽をまとい、30センチ位のハイヒールで舞い、街を浮遊する。

 

肉体パフォーマーである。

 

色や素材のニュアンスが奇抜であるはずなのに、繊細でかわいらしさを醸し出す。

身体まさに肉体で表現する手法は、警察に捕まる一般的には非道徳まで行ってしまう。

 

人間の根源に迫る勢いは、静かな清らかな歩きからは想像もつかない。

 

 

 

 

長梅雨

 

このモヤモヤとした気持ちを払拭したい。

なにがしたいのか?なにが出来るのか?

 

ワークライフバランスなんてカッコイイこと言えるだけ幸せなんだろうな。

でも仕事で病んでしまったら元も子もない。家庭も病んでしまう。

労働条件の優先順位をハッキリさせる。

 

腹を決めて前を見ようとしても、待てよとブレーキがかかり後ろを振り向きがちな今。

萎縮してるなー。不安ばっかりが頭を過るから。

チャレンジという人生の醍醐味から逃げ腰になってる。

 

とにかく身なりを整えて外へ出よう。

笑って行動することで思考回路が切り替わるかもしれないし。

出会いが待ってるかもしれない。

 

映画を見たり、美術館に行ったり、お茶したりして、

この課題とは別世界にも敢えて出向いてみよう。

1時間半かけて投票へ

 

今回の参議院選挙は選挙権がないと勘違いをしていた。

市区町村選挙は転居後すぐの選挙には参加出来ないからだ。

 

数日前に虫の知らせで検索してみると国政選挙は必ず投票権があった。

「しまったー」

でも、なぜ知らせが来ないのか?

と選管に電話してみると。

 

一度私が転入届の住所を間違って登録してしまったので、宛先不明となっていた。

「しまったー」

でも、電話番号も記載してるし、そのままにされているのも問題だと思った。

 

さて、その時点で我々が投票出来る方法は旧住所に出向いて投票するしかなかった。

1時間半かけて出向いた投票所で少し揉めたが、話は伝わり

無事に想いを込めた一票を投じるとこが出来た。

 

結果は…。

憲法改正に関しては大反対。

許すべきではない全くもって後ろ向きな憲法草案を。