バングラディッシュの悲劇

 

無念だ。悔しい。

どうしてこんな悲劇が起こってしまうのだろう?

 

志を抱き、日本を飛び出し、他国の幸せのために働く若者たち。

海千山千の経験を持ち合わせ、人生の集大成の仕事と思っていたかもしれない諸先輩。

そんな方々の晴れやかな人生を突然奪ってもいいわけない。

 

その狂気に満ちた殺人者たちにも関心を持たざるおえなかった。

美しき青年たちを極悪非道の世界へ、そうさせたものは何だったのだろうか?

その動機を紐解くことに全力を挙げてほしい。

 

こんな悲劇はもう嫌だ。

ハローワーク

 

また職探しが始まった。

 

毎日、求人票をチェックする。

これはと思うものがあったらハローワークに出向いて、その仕事を紹介してもらう。

徒歩で電車で、今は車を運転して何度も出かけなければならない。

 

人生で何箇所目のハローワークになるだろうか?

仕事を探すという前向きなエネルギーが充満しているはずな場所だが、

どうもどこに行っても暗い雰囲気のお役所だ。

親身な就職支援とはいうより、システマティックな流れ作業の対応が多い。

 

ハローワークの紹介状をゲットしたら書類を手抜かりなく準備して先方に郵送する。

書類選考で落ちることも面接で落ちることも何度も経験済み。

 

仕事が見つかるとすっかりとこの苦労は忘れてしまうのだが、

また甦ってきた職探しのルーティーンが。

 

 

 

 

 

英国国民投票

 

英国でのEU離脱の是非をめぐる国民投票の結果を受けて、

全世界が大混乱をしているかのようだ。

なぜなら誰もが結果とは逆のシナリオを描いていたからという理由もありですよね。

 

政治家、有識者、そして離脱に投票をした国民の予想も

覆すことになったのではと疑いたくなるようなchaos感。

 

逆に、こうゆうこともあるのだと勇気付けられるような思いさえ浮かんで来る。

そう、変えられるんだ。

国民の意見を直に吸い上げてくれれば日本も何かが変わるかもしれない。

 

想定外というフレーズは自然災害をきっかけに乱用されているが、

既成政治を想定外で突破することも出来るという希望になったように感じる。

 

 

 

 

「引っ越しました」ハガキからのお手紙

 

5月末に引越しをして3週間が過ぎた。早かった。

そして、親しい友に「引っ越しました」葉書を出した。

 

続々と連絡をくれる友人らに感謝をしている。

心配をしてくれる友には引越しをした理由をこれからちゃんと説明しようと思う。

 

それ以前にも、こんな出来事もあった。

熊本の震災でお見舞いを送ってくれた友がいたが、前住所に荷物が行ってしまった。

転送されてきて、素敵なお見舞品は受け取れたが、連絡をしていなかったので

とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

そして彼女は言った「手紙でも書いてね」って。

メイルでなく手紙を書こうと思う。

 

便箋に文字を書くのはいつ以来だろう?

時間がかかる、けど私は好き。

こんなに豊かな時間を味わえるのだから。

 

 

 

 

草むしり

 

新しい家には庭があるが、前住人はどうも手入れをしていなかった様子でlivelyでない。

大家さんが我々の入居前に一応手入れをしてくれたようだが、芝は一部しかきれいに張っておらず、

一雨ごとに名前知らずの草ばかりが目立つ。

 

家の中が片付いてきたので、気合を入れて草をむしってみようと始めた。

これがハマった。

草むしりは早朝に限る。昨日はあまりに楽しいので、夕方も庭に出た瞬間に蚊にさされて即中止した。

虫除けや服装に気をつけていたのだが。今朝は朝7時から10時過ぎまで草をむしっていた。

自分でもこの集中力にはびっくりする。

 

「根をはる」や「根こそぎ」という表現を味わいながら、また草の根の張り方に凄みを感じながら、

ただ草をむしるのが楽しい。時にふとこれは雑草じゃない、いや雑草って見なさなければいいんだろうと

残してみたりするのが、適当な庭仕事で。

ただ、芝が張っているので高くなる草だけは私にとっては雑草。

 

庭草をむしっているだけで楽しいのだから安上がりだが、花を咲かせる自信がいまいちない。

三角葉ミモザハゴロモジャスミン、桔梗、綿などなど好きな花を思い浮かべてみるまでで今は精一杯。

 

さて、我が家の初庭はどうなることやら。

 

 

 

 

 

ありえないことを考えさせる素質

今のヨガの先生に出会って約1年。

1時間10分ほど車を走らせ通うお宅は、城垣を眺められる木の家。

 

先生の旦那様も体のメンテナンスのプロであるが、なかなか興味深い人。

赤ちゃんや子供と対等であり、すぐ友達になれる人。

 

その彼が今日も私に課題を与えてくれた。

新しい土地で新しい仕事を見つけるという私の発言に、

「仕事なんてしなくていいんだよ。ヨガを練習してればお金が入ってくるから」と。

 

怪しい話この上ない。

 

しかし、彼と接していると、いやいやヨガの練習とお金の関係性も考えてみる価値ありと思えてくる。

 

こんな話もある。彼のある生徒が鬱でアルコール依存であった。

ご近所であることもあり、彼女は彼のヨガ指導を受けるようになった。

そして、彼女からこんな話を先日聞いた。病院に通いながらも、先生の言葉マジックに洗脳されているような気がすると。彼は彼女に「ヨガやってるとアルコールが美味しくなくなるんだよ」とケラケラ言うそう。

 

とても不思議なエネルギーの持ち主である。自分のことしか考えてないような子供がそのままおじさんになったような人だ。とても純粋でとても自由奔放。そして、何事に対しても面白がっている。 

 

 

 

 

 

母の日

 

父が80歳、母が76歳。元気でいてくれて、それだけで幸せ。

 

両親が仕事を辞め、心配していた父よりも母の方を気にかけることが多い。

引退した後は、父の方が萎えてしまうのではと心配していたので、

本当に意外であった。

 

5年前に妹が亡くなり、ストレスから髪の毛が抜け落ちた。

貧血で倒れて頭を切ったこともあった。

 

母にとってこそ仕事が活力だったのだろうか?

妹の介護が母の生きる糧だったのだろうか?

 

しかし、母の日の電話で明るい声が聞けた。今は体調が上向きのようだ。 

どんなにか私がうれしかったことか。

 

もう一方、先日偶然にも父の走る姿が見れた。

80歳としてはしっかりとしたフォームで軽快に走っていた。

どんなにかびっくりしたことか。

 

 

 

 

 

愛する清志郎

 

ゴールデンウィーク忌野清志郎さんのライブコレクションの番組を見ている。

いっきに35年ほど前のあの時代にタイムトリップしてしまう。

 

先日、その高校1年生の頃の友人と話していて何十年間も

勘違いをしていたことがあった。それが初めて行ったRCサクセッション

のコンサート会場が虎ノ門ホールでなく、渋谷公会堂だったこと。

ずっと信じていたことが間違っていた。

 

15歳の時にRCサクセッションのコンサートに行ったことは、私の人生の宝物。

70年代、15で友達同士、あのコンサートに行けた私は幸せものだ。誇りでもある。

多感な揺れ動く想いと熱い想いをぶつけられる場だった。

 

この世に居ないあなたにみんなで引かれたのは、

どこまでも温かいハートを持ち合わせた清志郎だからだろう。

今、確かにそう思う。 

 

 

戯言

本物、上辺だけでなく真髄が正しい。

それを発見できたら生きている意義を見出せる。

それが人だったらさらにうれしい。

 

価値観ってなんだろう?

好きなところに暮らし、好きな人を友にし、好きなように過ごしたい。

 

狭い社会で密に濃く生き、ご先祖、お寺、部落、親族を軸に据える。

それを死守しよう、時勢に逆らおうとちぐはぐになり、

それこそ本物が薄れているような気がする。

 

私は人のうわさ話がこの世で一番嫌いだ。

うわさは推測を含み、事実もをねじ曲げる。

狭い社会ではそれが楽しみのようになるのはたいへん悲しいことだ。

 

私は日本全国に世界に目を向け続ける。

 

 

思いもよらぬ暖かい気持ち

 

熊本地震がまだ終息をみせていないなか、あたりまえの風景をこの目で見て心が動いた。

 

田舎の大学で学生が熊本にむけて寄付を始めたのはあっという間だった。

 

運ばれてくる大量の物資。水、トイレットペーパー、おむつとそのボリュームを

見ていたら、普段とのギャップに圧倒されてしまった。

この動いたエネルギーを思うと学生たちをあなどっていたことを猛省した。

静かになった時、その一つ一つを眺めては思うことがたくさんあった。

 

2Lのペットボトルには「負けんばい熊本!」とメッセージまで書かれてる。

自分には出来なかった。

 

東日本のときは自分が被災したからだろうか?

応援する人たちが起こした動きは、私の心の琴線にふれた。