私はそんなに‥

 

昨日の夜のヨガで徐々に感じていた思いが強くはっきりしたような気がする。

 

私は自分が思うより弱くない。

 

初めは体が重く、眠く、今日のヨガは大丈夫だろうか?

と心配になることがたびたびある。しかし、いつも大丈夫。

 

未だかつて途中で止めたことがない。

むしろ力が湧いてくる。帰ることには元気になっている。

 

逆に、今日は調子がいいぞと思ってスタートした時ほど、

どこかでバテる。

 

いづれにしても、私は自分が思うほど弱くない。

体も心も。

だから大丈夫。

 

 

切なくなる瞬間

 

アメリカに短期留学していた時に知り合ったインドネシア人の3人組や

母国の殺戮から逃れて来た中東の女の子がまだアメリカにいるのだろうか?

と思いを巡らす。

 

もしそうであったら立派な米国人になっているであろうと思ったら、

胸がキューンとなった。

 

きっと、彼らが立派な米国人になっていることを羨ましいと

思う気持ちがあったのも間違えではないような気がする。

 

中学生の時にラジオから流れて来た「威風堂々」や

ビートルズの「i wanna hold your hand」を聞いた時、

心を射られた瞬間を覚えている。全身に電流が流れたような瞬間だった。

 

それを今思い出すと切なくなる。

素敵なお店

 

住宅街にある家の1階がイタリアンのトラットリア。

小さな店をご夫婦2人で切り盛りしていた。

 

素材にこだわり、学びも怠らず、誠実に仕事をなさっている様子。

出来立ての料理とその空間に酔いながら、会話と安らぎを味わった。

 

暑い夏の日、窓際から見える青空と雲、そして緑のコントラストが

いつもと違う幸せさえ感じさせてくれた。

 

こんなお店での時間が救いになることもある。

 

望まぬ変化の中で

 

恐れずむしろ喜びとして何かを変えようとする人たちが

私には目につくようになって来ている。

 

生半可の行動力では出来ないことを実行し、

抵抗勢力に阻まれては、その負を逆手にとって勝にひっくり返していく、

そんな賢いひとたちが私には見えている。

 

大丈夫。絶望するにはまだ早い。

きっと、変えられる。

 

 

 

 

しゃぼん玉

 

週末の夕飯後、キッチンで洗い物をしていた時のこと。

「しゃぼん玉だ」という声がカウンターキッチンの対面から聞こえて来た。

 

ロッキングチェアーに座る夫は酔った体をゆらゆらと揺らしながら、

うれしそうに行方を追い騒いでいる。

 

見ると、小さな小さなしゃぼん玉が扇風機の風に乗って

浮き上がったり、降りて来たりしている。

 

しゃぼん玉が消えて夫が一言、「幸せな時間だった」。

 

 

かため

 

先日、ドラッグストアーで歯ブラシを買おうと

そのセクションに向かうとお爺ちゃんがゆっくりと行き来していた。

 

そして、とても自然に「かためってのはどれですか?」と尋ねられた。

お年寄りなのに方言ではなく、とても私にとっては普通だった。

 

さらに「探してもどこに書いてあるんだか分からないんだよ」と。

 

「そうだよなー、パッケージにこんな小さく書かれても探しきれないよっ」と

つくづく心の中でお爺ちゃんに寄り添った。

 

こうゆう小さな不便さをなくしていくことが優しい社会なんじゃないかなぁ。

 

奇跡みたい

 

愛犬のアトピーの状態が、犬生12年において一番良い。

12年間苦労したのが、完治したのではと思うほどに良い。

 

1歳の時に発症してから、毎日痒みとの戦い。

色々な部位が傷だらけ、皮がズル剥け、血が滲む事も。

 

餌を取っ替え引っ替え、体の手入れを毎日し、家の掃除をし、

サプリやシャンプーもいろいろ試し。もちろん薬もずっと飲み続け。

 

ここ数年は耳を掻きすぎで穴が塞がってしまった。

耳を掻いてできたデキモノを悪性腫瘍だと誤診され、悲しみにくれたこともあった。

 

その後、病院を変え、何人もの先生に診てもらったところ、

ある獣医から処方された点耳薬が劇的に聞いた。

耳が快適だと全身のかゆみも緩和されたようで、全く掻かない日もあるほど。

 

嘘のような日々がやって来た。

 

正直諦めていた。現状維持でしょうがないと思っていた。

しかし、本当に奇跡のようなことが起きる。

 

生きていると行動してると、幸せが突然降ってくることがあるんだ。

 

一番のライブ

 

思い出した話だが、残しておきたい。

 

人生50年以上の中、私の一番ライブは2014年に見た竹内まりあさんのステージ。

 

そんなに多くのコンサートを見たわけでもなく、音楽マニアでもないのだが、

心に響く思い出のライブになった。

 

彼女も音楽のプロだが、結婚後は3回しかライブツアーをしていないし、

主婦の仕事を主にしていた時期もある。

 

そんな彼女が、すらっとした長身にパンツスーツでギターを抱えて現れたときは

その洗練された格好良さに目が潤んでしまった。

 

久しぶりのライブで歌い出しに失敗してしまった時には、

隠さずもう一度と最初からやり直してくれた。

 

声が枯れるほど一緒に歌い、

達郎さんとのデュエットの英語曲は甘く美しすぎて、体が溶けそうだった。

 

素晴らしい人生の瞬間だった。

 

いつもの季節に

 

いつもの季節にいつもの事が出来る喜びに、心から感謝する。

 

宮崎の山奥から届くシュトレンが私の12月のお楽しみ。

そして、我が家の二人だけの忘年会はふぐで締める。

 

贅沢だ。

 

毎日を急がず丁寧に、質素でも美味しい生活を心がけよう。

寂しい想い

 

同僚が昨日で職場を離れた。上司とのいざこざが理由である。

二人の間に流れた空気や実際のやりとりは計り知れないので、

その理由についてに関しては彼女、上司ともにかける言葉はない。

 

ただ、私とその同僚との関係に感謝を述べた。

職場に貢献してくれた彼女の仕事に感謝した。

 

しかし、上司が彼女にかけた言葉は全くなかった。

それはとても恥ずべき行為ではないか?

 

私の知らぬところで労いの行為があったことを切に願う。